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詩や雑記などをとりとめもなく書いております。ゴルフもちまちま。滞りつつ更新中。

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2008

02/29 (Fri) 01:26
書類の中に、「理由書」というものがあります。
辞める理由を記入するもののようですが、
正直、何と書いていいやら、悩むところではあります。
今まで、ここには書いてこなかった(と思う)のですが、
心的外傷について、見つめ直そうかな、と思います。

尚、いつもながら、自分(銀兎)に興味の無い方は読まない方が
無難と思われますし、できたら今回は、精神的に丈夫でない方は
読まない方がよろしいと思います。
ネガ的な感情は、伝染することがあるように思われるので…。

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入学したのは、2003年の春でした。
中学の時に、職業体験というのがあったのですが、
それで将来の夢を見つけた自分は、それになるべく、
卒業後の進路としてその職に就けるであろう、学科のある大学を志望しました。
学部と学科は具体的過ぎて、大学がわかってしまうとまずいので書きませんが、
一応、国立の理系の4年制大学です。

そんなかんなで入学後、特に重要な単位を落とすことなく、
無難に生活していたのですが、3年になる際、研究室を決めることになりました。
(研究室を決めるというのは、要は教授の元に着くという意味です)
ゼミ(近い内容を研究する教授達のグループ。学生達が卒論等で参加)は、
もう既に決めていた(例の職に就けそうなゼミ)のですが、
その中の研究室までは、決めかねていました。
ただ、ある教授は、厳しいけど、いろいろ企業の人と繋がりがあるみたいだから、
がんばって卒業すれば、その職には就けるかもよ。
という噂を耳にして、教授に聞きにいったのはその後でした。
話を聞くと、「院」に行く必要があるけど、自分のところを出れば、
確かにそういう話はあるからなれると思うよ。ということでした。
中学からずっと希望していた職に就けるんだという夢から、
その教授の元に就く事に決めました。
厳しいという噂はもちろん聞いていましたが、夢に近づくためなら、
それくらい乗り越えてみせる、と、意気込んでいました。
さらに、その教授はもちろん普通の授業もやっていたのですが、
いつも笑顔で、内容も面白かったし、自分に合っているとさえ思ったのです。
3年の前期は個人の発表の機会はなく、数人での調査発表でした。

後悔し始めたのは、3年の後期からでした。
その職に就くのなら、これくらいの研究はやっておく方がいい、特に男だし。
と勧められた研究テーマは、ゼミの中でもトップクラスの難度のものでした。
大学から車で片道7時間もかかる場所で朝から夜まで調査をし、
しかもほとんどは車中泊。おまけに調査は半分肉体労働。
男だから、と付け足された理由がわかりました。
自分は車が無かったので、調査資料を現地へ取りに行くのに、
彼女の運転で行ったこともありました。
慣れない運転で、しかも自分もナビ慣れていなかったので、
片道10時間くらいかかってしまいました。本当に悪いことをしたなと思います。
自分の車が手に入ったのは10月くらい。
本格的な調査はほとんどできず、半ば後ろめたい気持ちで教授の元へ行くと、
「お前まだ調査一日もやってないのかよ!夏休み何やってたんだ!?」
と叱責され、生まれて初めて膝が震えました。
仕方ないので後期の発表は、研究内容に近い論文の紹介という形になりました。
でも、発表の内容を作成して、教授の元へ行ったのですが、
いきなり、「試しに発表やってみろ。」と言われ、
慣れない発表に戸惑いながらもやったのですが、やはり撃沈。
「声が小さい。日本語がおかしい。内容を理解していない。(他多数)」
意見はもっともなものでした。今までに、人前でスピーチをする機会など、
ほとんど無かった自分にとっては、ダメな所など言っても言いきれない程。
それに加えて、人から激しく叱られることに慣れていない自分は、
教授の言葉がほとんど耳に入りませんでした。
それでもなんとか自分なりに努力はしました。
英語の論文でしたが、英語苦手なのに一生懸命訳したし、
内容も、難しかったですが理解しようと努めました。
そんなでなんとか発表は終わったものの、何か、もやもやしたものが残りました。
まあそのうち消えるだろうと思いつつ、冬は調査できないので、
論文を読んだりして、4年を迎えました。

春になったので、調査を始めると共に、大学院の試験も待っていました。
丁度前期に、ほとんど同じ月ぐらいにゼミ発表と試験がありました。
それまでにがんばろうと、今までの遅れを取り戻そうと、
ゴールデンウィークも関係なしで、何度も調査に向かいました。
結果はそこそこ得られたものの、ある日、調査中に、
無性に孤独感というか、虚無感に襲われ、どうにもできなくなりました。
仕方ないのでその日は調査を切り上げて7時間運転で帰宅。
数日後再び向かったものの、同様の症状が出て、
その日は日帰りで帰ってきてしまいました。
深夜2時に出て、朝8、9時頃着いて、調査を始めて昼頃にはもう、
症状のせいで、まともに調査はできませんでした。
昼飯を食べてから運転をして、アパートに着いたのは夜の10時。
最後はもうほとんどフラフラで、帰りの高速で、
走行車線を走っているつもりが、気付いたら追い越し車線を走っていた時には、
精神的にも肉体的にももう限界でした。
高速で居眠り運転とか、もしかしたらあの時、自分は死んでいたかもしれません。
疲れ(特に精神)はいつになっても取れず、しかもそれに加えて、
発表で再び教授から激しく叱られ、発表が終わると、
今度は大学院の試験についても厳しく注意され、
ほとんど頭がぐちゃぐちゃの状態で試験は終わりました。
叱り方は3年の後期よりも凄かった気がします。
前期の重要な予定は全て片付いたのですが、燃え尽きたというか、
完全に無気力になってしまい、その試験数日後辺りから、
大学へ行けなくなりました。

原因はわかりません。
教授に叱られたことなのか、調査の孤独・虚無感なのか、燃え尽きたのか、
他の要因があったのか、複数の要因が重なったのか。
数週間後、試験の合格者の発表だけ、見に行きました。
受かってました。推薦なので、受かる確率は高かったのです。
はっきり言って、特に嬉しくもありませんでした。
その後、彼女の勧めで大学のカウンセリングを受けることになり、
いろいろ話して一時的に良くなりましたが、結局大学には行けず、
夏休みが過ぎ、後期に。
先輩や友人、家族やカウンセラー等、様々な方に意見を聞きました。
自分で決断することができませんでした。
辞めたいと言うと、ほとんどの人は、辞めない方がいい、と言いました。
後半年だし、院も受かってるし、ここでやめるのはもったいない。と。
もしどうしても行けないのなら、留年という手もあるから、
卒業はできるだけした方がいいよ。と。
はっきり言って、この頃の自分は、頭の中が真っ白でした。
大学のことを考えると、何も考えられないというか、手につかないというか。
抗鬱剤と睡眠薬を飲み始めたのはこの頃からでした。
何度も死にたいと思いました。
死んで何も考えなくて済むのなら、その方がいい。
大学辞める方が、自分が死ぬよりはマシだよね。と友人に言ったこともありました。

そんなこんなで、卒業を見送ることになりました。
院は、別に高い入学金払う前にキャンセルすればいいだけだから、
あまり金銭での無駄はないということに。
ただ、夢は諦めることになりました。
と言っても、もう夢だ何だのと言っていられる状態にありませんでしたが。
決まったので、春まで実家で療養することになりました。
いろいろ不安はありましたが、なんとか、
春には再び大学に行けるようになりました。
研究内容は変えて、調査はできる限り少ないもの、場所は近いもの、
にしました。同じ失敗を繰り返さない為に。
最初は一学年下の後輩と研究をすることに違和感はあったものの、
それは行く前からわかっていたことだし、何とかなりました。
ただ、問題は、他にありました。
やはり前期の発表が近づいた時、教授に激しく叱られ、
膝が震え、声が詰まり、倒れそうになりました。
「お前なんか、大学辞めちまえ!!」
まだ抗鬱剤を飲んでいました。
効果は、ありませんでした。
発表の予行が終わった後、大学に居られなくなり、アパートへ帰宅。
暗い部屋に電気をつけると、涙が止まらなくなりました。
それに加えて、異常なまでの衝動的な自殺願望が湧いてきて、
それは次第に鮮明になってきました。
近くの大きな川の橋から、車ごと飛び込む映像。
何度も何度も、フラッシュバックする、仮想体験の出来事。
自己嫌悪と自殺願望で、半分錯乱状態になってしまい、彼女に電話をしました。
話をしているうちに、少し落ち着きましたが、
何もできない、皆のようにできない自分に激しく嫌悪感を覚え、
次の日に実家に帰りました。
発表を直前に無断で放棄した為に、
心配した先輩や友人から多数のメールや電話がきました。
中には、アパートまで行った人も居たようで、困惑しました。
電話の内容は、ひどいものでした。
心配してくれているのは伝わるのですが、「逃げるなよ」とか、
「そんなんじゃ、いつまで経っても変わらないぞ」とか、
イライラしたので、『今の自分には、そういうの、全部脅迫に聞こえるんです』
と言って切ってました。
結局そのまま、大学には行けず、実家で夏~最近まで過ごしていました。

教授が悪いわけではないと思うのです。
もちろん、言い方は悪い人ですが、内容については正当性があるし、
特に、自分にだけきつく当たっている訳ではなく、
教授についた学生全員に同じように厳しいのです。
昔はもっと荒れていたそうで、椅子を投げたこともあったような方で、
最近でも、特に女子学生は、泣いてしまうことも多いそうです。
非は自分にあったと思います。
他の学生は耐えていた厳しい意見も、耐えられない自分。
簡単なことを理解していなかった自分。
要は、自分がしっかりしていれば、教授も叱ることはなかったと思うのです。
しかも、ダメなまま叱ってもらえずにそのまま発表していたら、
他の教授の方たちに、同様の意見を、もっと厳しい形で
言われていたかもしれません。
そんなことも考えて、自己嫌悪が悪化していったのです。
今でも、というか昔から、自分で自分のことは好きにはなれませんが。
欠点だらけで、男のくせに、という部分が多くて、
病弱で、つまらなくて、なんともいえない人間です。
でも、少しわかったような気もします。
自分で自分のことを好きになるなんて気持ち悪いこと、
今でもできそうにありませんが、それでも、
欠点を補うことはできると思うのです。
欠点は欠点だし、それは得意にはなかなかなるものではないでしょう。
ただ、努力次第で、それは少なからず補うことができる。
誰かにどうにかできる問題ではないので、自分が変わればいいと思うのです。
得意なことを伸ばすことも大事かもしれませんが、
それでは、逆境に立たされたときに、以前の自分のように、
そういう時に限って欠点が露出します。
ゆっくり、焦ることはしたくないけど、それでも着実に、
今回の「精神的弱さ」という欠点を埋めていければと思います。
普段の生活の中でも、メンタルは鍛えようと思えば鍛えられるし、
逆に言えば、怠けようと思えばいくらでも怠けることもできます。
もし、新しい欠点が見つかったら、そのときはそのときで、
また少しづつ、埋めていければいいのかなと思います。

新しい自分と、新しい生活、きっといいことばかりではないと思うけど、
それでも、後悔はしない。しても意味がないから。
先のことを考えて、常に成長して、吸収していけたらいい。
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そうだったのか…
全部読みました。
その前に昨日はお疲れ様です。
言いたいことは言えました?胸にひかかってることはないですか?

改めて『ここまで自分自身の整理をして頑張ってきたね。
前に進めて良かったね。本当おめでとう!』と心から言いたいです。
最後の文が前向きに書いてあることも嬉かったです。本当によくやったね!!

私の中で先入観もあったと思うのですが、
読む前まではずっと大学が悪いと思っていたので…。
初めて少しわかったように思えます。
読んでみて、どっちが悪いなんてないんだと思いました。
先生も銀兎さんのこと思ってのお叱りだと思うし、
銀兎さんも精いっぱい出来る限り頑張って応えようとか
夢に向かってがむしゃらだったと思います。
私には計り知れないぐらい頑張っていたんですね。
すごいです!!その時の銀兎さんと今の銀兎さんに
大拍手したいぐらいです。

今は辛い思い出の方が多くなったかもしれないけれど
社会に出て会社員の一員になった時
このあった出来事が糧になってると思います。

会社もいい会社もあればそうじゃないところも
いっぱいあります。
仕事の内容が増えれば増えるほど、上司に言われること
期待も大きくなるのでしんどくなる時が来ると思います。
そんな時一番わかりやすく
大学生の時、ヘラヘラやってた人・要領よくこなしてきた人ほど
自分の限界が見えてくるといいます。
その時にどう自分で対処できるか
どのくらい自分自身のことを分かっているかがカギだと思います。
それを大学生活の中で身をもって体験されて分かることは
すごく貴重な体験だったと思います。

それと「夢は諦めることになった」と書いてあったけれど
夢は諦めないから夢であるんです。
今は無理でもまた、気分が変わって
大学に行こうと思えるようになるかも知れません。
その時、その時にしかわからないことってとてもあると思います。
意味がないと思うかもしれませんが
大きな夢はいつまでも持っていてもいいと思います。

あと余談ですが自分に『よく今まで頑張ったなっ』と
ほめてあげましょう!!
褒めることは次の自分へのいい薬になったりするんです。
気持ちが落ち着いてきたりとかパワーが出たり。
本当によく頑張ったんだから、自分自身ほめてあげてください。
今よりもっと元気が出てきますよ!!

にろっぺ 2008/02/29(Fri)18:16:51 編集
一般人間
ありがとうです。特にもう心残りはありません。

自分も就職がもし決まれば、生徒、学生の立場から初めて離れる訳で、
そうなればもうお金を貰う立場ですから、厳しいこともあると思います。
ただ、そうなった時に今よりも少しでもいいから、
精神的に成長していられたらそれでいいと思うのです。
まだ引越しは済んでないので完全ではないですが、
少しだけ、楽になった気がします。
銀兎 2008/02/29(Fri)23:46:44 編集
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プロフィール
HN:
銀兎
レベル:
39
性別:
男性
誕生日:
1984/10/29
職業:
会社員
趣味:
ゴルフ、音楽鑑賞(ロック・ポップ系の邦楽多め)、ゲーム、詩を書くこと、読書、飲酒(ぉ
自己紹介:
銀兎(ぎんと。と読みます)
ある場所ではカラス。
またある場所ではキーレス
というHNも使っています。

どちらかと言えば、かっこいいものよりも、かわいいもの、やわらかいものの方が好き。

ゲームで言えばRPG好き。
でも最近はレベル上げがたるいのでRPGプレイ時間減少中。

嫌いな食べ物は
ほぼありませんが、
生姜風味のかりんとうだけは食べられません。(嘔吐経験あり)

※妄想癖あり。
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