詩や雑記などをとりとめもなく書いております。ゴルフもちまちま。滞りつつ更新中。
2008
土曜に兄と一緒に映画「スカイ・クロラ」を見てきました。
前日に放映時間を調べたら、朝の次は夕方!
片道一時間かかるのに、朝ですか。
できたら午前中に見に行こうと言っていたのでしぶしぶ早起きして行きました。
着いてみると、ロビーの家族連れの多さにちょっと辟易。(シネコンなのです)
○ニョ効果なのか(?)、と思いました。夏休みですし。
内容は、良くも悪くも押井守監督らしいと思いました。
それと、最後が予想と少し違っていました。
メッセージ性を考慮して多少変えたのかな、と自己解釈。
そして、全体的に思ったのが、視覚化する上でのメリットとデメリット。
本(原作)では、「たぶんそうなんだろうな」という程度であったのが、
目で見ると、「明らかにこれは…」とわかってしまう。
ネタバレといえばネタバレの一種なのかなという感じ。
想像や推理が好きな方は、
原作を読んでから見たほうがいいのかなと思いました。
ただ、やはり映像化で全体的に物語がわかりやすかったし、
先にこちらを見た方が原作にも興味を持ったりして、
読者が増えることはファンとしては嬉しいような気もします。
ちなみに兄は原作を読んでいません。
薦めてみたら、ちょっと興味有り気だったので、今度貸してみる予定。
そういえば、以前『まだ勉強したいような気がする』と書きましたが、
具体的に何を勉強したいのかわからないのでいろいろ調べていたら、
「何がしたいのかわからないときは、
とりあえずジャンルを問わず様々な本を読むのもひとつの方法。」
という一文を見つけました。
ある意味一理あるのかなと思ったので、以前から読んでみようかと思っていた、
『ウォールデン、森の生活』を買ってみました。
有名な本というのは、やはり何かそうなるだけの理由があるのかなと、
思ったのが理由です。
(昔の本はマーケティングだけでは売れなかったはずだと思ったので。)
最初の方だけしかまだ読んでいませんが、なかなか為になるというか、
「なるほどなぁ」と思える内容の本です。
ただ、難しいといえば難しいかもしれません。
自分最近小説ばかり読んでいたので、
慣れるまでは少し読む速度が遅くなりそうです。
これを読み終わったら、もう次に読む本は決めてあります。
話は変わりますが、「あります」と打とうとすると、「ありんす」になってしまうこと、
ありませんか?なんか江戸っ子っぽい感じがします。
で、次に読む予定の本は小説です。
後で自己啓発関係も読んでみようかと画策中。
前日に放映時間を調べたら、朝の次は夕方!
片道一時間かかるのに、朝ですか。
できたら午前中に見に行こうと言っていたのでしぶしぶ早起きして行きました。
着いてみると、ロビーの家族連れの多さにちょっと辟易。(シネコンなのです)
○ニョ効果なのか(?)、と思いました。夏休みですし。
内容は、良くも悪くも押井守監督らしいと思いました。
それと、最後が予想と少し違っていました。
メッセージ性を考慮して多少変えたのかな、と自己解釈。
そして、全体的に思ったのが、視覚化する上でのメリットとデメリット。
本(原作)では、「たぶんそうなんだろうな」という程度であったのが、
目で見ると、「明らかにこれは…」とわかってしまう。
ネタバレといえばネタバレの一種なのかなという感じ。
想像や推理が好きな方は、
原作を読んでから見たほうがいいのかなと思いました。
ただ、やはり映像化で全体的に物語がわかりやすかったし、
先にこちらを見た方が原作にも興味を持ったりして、
読者が増えることはファンとしては嬉しいような気もします。
ちなみに兄は原作を読んでいません。
薦めてみたら、ちょっと興味有り気だったので、今度貸してみる予定。
そういえば、以前『まだ勉強したいような気がする』と書きましたが、
具体的に何を勉強したいのかわからないのでいろいろ調べていたら、
「何がしたいのかわからないときは、
とりあえずジャンルを問わず様々な本を読むのもひとつの方法。」
という一文を見つけました。
ある意味一理あるのかなと思ったので、以前から読んでみようかと思っていた、
『ウォールデン、森の生活』を買ってみました。
有名な本というのは、やはり何かそうなるだけの理由があるのかなと、
思ったのが理由です。
(昔の本はマーケティングだけでは売れなかったはずだと思ったので。)
最初の方だけしかまだ読んでいませんが、なかなか為になるというか、
「なるほどなぁ」と思える内容の本です。
ただ、難しいといえば難しいかもしれません。
自分最近小説ばかり読んでいたので、
慣れるまでは少し読む速度が遅くなりそうです。
これを読み終わったら、もう次に読む本は決めてあります。
話は変わりますが、「あります」と打とうとすると、「ありんす」になってしまうこと、
ありませんか?なんか江戸っ子っぽい感じがします。
で、次に読む予定の本は小説です。
後で自己啓発関係も読んでみようかと画策中。
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2008
片仮名で書くと、疲れていないように感じるのは気のせいでしょうか。
なんとなく、全体的に文章力が落ちているように感じるのは、
疲れているからであって、気のせいではないはず。
ここ数日、今度の「初盆」に向けての準備で、
家中を掃除する羽目になってしまい、
窓を磨いたり、障子を張り替えたり、扇風機を掃除したりと、
本当に普段あまり動いていないせいもあってか、かなり疲れています。
何だかこういったことをしていると、非常に理不尽な思いを抱いてしまいます。
(あらかじめ言っておきますが、自分がこういったことをするのが「面倒くさい」
等の理由で考えていることではありません。)
田舎だからなのかわかりませんが、「初盆」というものはどこの家も、
『綺麗に』掃除してあって、多くの来客があるそうなのです。(「親」談)
しかし、家を掃除すると言っても、簡単なことではありません。
新築ならともかく、何十年も掃除していないような家を掃除するとなると、
やっていて、どうしてこんなことをしなければならないのか、
という気持ちになります。(ちなみに掃除しているのは祖母の住んでいた家)
もし「世間体」とかそういった下らないものを親が気にしているのなら、
自分は一切手伝わなかったと思います。
ただ、祖母は仏教徒であったし(多くの方がそうなのかもしれませんが)、
遺言には具体的には無かったけれど(これも多くの方が。)、
『一般的な』様式で行ってあげるのが本人には良いのかな(本人の遺志?)、
と思ったのが理由です。
面倒な訳ではありませんし、祖母を責めている訳ではないのですが、
これほど大変な一連の行事を「遺された人」にさせるのは、
少し納得がいかないというか、社会全体の「決まり行事」のようなものは、
別にやらなくていいような気がしてしまいます。
本来、そういったことって、亡くなった方を忘れないように、
その都度思い出して大切に思えるようにということがメインのような気がします。
それなのに、今では「行事」が優先され、
形式だけ「世間から孤立しないように」努めること
がメインにはなっていないでしょうか。
少なくとも自分の場合はそんな馬鹿みたいな風習は嫌いなので、
『自分がもし死んだら、葬儀も含めて、一連の行事はやらなくていいから。
ただ、もし「どうしてもやりたいと本当に思うのなら」強制はしない。』
というようなことを親に言ったら、
「お前が死ぬ頃には私は生きてないだろうから、
もし言うならお前の子供ができたら言ったらどうだ。」と言われました。
ちょっと伝わっていないようだったので、
『自分は明日死ぬかもしれないし、今日死ぬかもしれない。
そんなこと誰にもわからないと思う。』と補足しておきました。
すると、意地になったのか、
「なら私がもし死んだら、凄い豪華な葬儀にしてくれないかな。」
と言うので、
『別に構わないけど、
その為の資金は全部自分で用意しておいてくれるんだよね?』
と言っておきました。
自分の墓を死ぬ前に用意しておく方が最近多いと聞きます。
それと同じ原理ではないかな、と。
少し納得がいかないことだったので、駄文を長々と書いてみました。
どうして、周囲の人間に合わせて同じ事をしなくてはいけないのか、とか、
習慣の本来の意味は何だったのか、とか、
考えてみると、初心に戻れたり、雑念を取り払って考えられたりすることって、
意外に多いのではないかな。と考察。
(「考」が多いように感じるのは気のせいではないはず。)
なんとなく、全体的に文章力が落ちているように感じるのは、
疲れているからであって、気のせいではないはず。
ここ数日、今度の「初盆」に向けての準備で、
家中を掃除する羽目になってしまい、
窓を磨いたり、障子を張り替えたり、扇風機を掃除したりと、
本当に普段あまり動いていないせいもあってか、かなり疲れています。
何だかこういったことをしていると、非常に理不尽な思いを抱いてしまいます。
(あらかじめ言っておきますが、自分がこういったことをするのが「面倒くさい」
等の理由で考えていることではありません。)
田舎だからなのかわかりませんが、「初盆」というものはどこの家も、
『綺麗に』掃除してあって、多くの来客があるそうなのです。(「親」談)
しかし、家を掃除すると言っても、簡単なことではありません。
新築ならともかく、何十年も掃除していないような家を掃除するとなると、
やっていて、どうしてこんなことをしなければならないのか、
という気持ちになります。(ちなみに掃除しているのは祖母の住んでいた家)
もし「世間体」とかそういった下らないものを親が気にしているのなら、
自分は一切手伝わなかったと思います。
ただ、祖母は仏教徒であったし(多くの方がそうなのかもしれませんが)、
遺言には具体的には無かったけれど(これも多くの方が。)、
『一般的な』様式で行ってあげるのが本人には良いのかな(本人の遺志?)、
と思ったのが理由です。
面倒な訳ではありませんし、祖母を責めている訳ではないのですが、
これほど大変な一連の行事を「遺された人」にさせるのは、
少し納得がいかないというか、社会全体の「決まり行事」のようなものは、
別にやらなくていいような気がしてしまいます。
本来、そういったことって、亡くなった方を忘れないように、
その都度思い出して大切に思えるようにということがメインのような気がします。
それなのに、今では「行事」が優先され、
形式だけ「世間から孤立しないように」努めること
がメインにはなっていないでしょうか。
少なくとも自分の場合はそんな馬鹿みたいな風習は嫌いなので、
『自分がもし死んだら、葬儀も含めて、一連の行事はやらなくていいから。
ただ、もし「どうしてもやりたいと本当に思うのなら」強制はしない。』
というようなことを親に言ったら、
「お前が死ぬ頃には私は生きてないだろうから、
もし言うならお前の子供ができたら言ったらどうだ。」と言われました。
ちょっと伝わっていないようだったので、
『自分は明日死ぬかもしれないし、今日死ぬかもしれない。
そんなこと誰にもわからないと思う。』と補足しておきました。
すると、意地になったのか、
「なら私がもし死んだら、凄い豪華な葬儀にしてくれないかな。」
と言うので、
『別に構わないけど、
その為の資金は全部自分で用意しておいてくれるんだよね?』
と言っておきました。
自分の墓を死ぬ前に用意しておく方が最近多いと聞きます。
それと同じ原理ではないかな、と。
少し納得がいかないことだったので、駄文を長々と書いてみました。
どうして、周囲の人間に合わせて同じ事をしなくてはいけないのか、とか、
習慣の本来の意味は何だったのか、とか、
考えてみると、初心に戻れたり、雑念を取り払って考えられたりすることって、
意外に多いのではないかな。と考察。
(「考」が多いように感じるのは気のせいではないはず。)
2008
最近、ちょっと疲れているみたいです。
一生懸命になって、無心で取り組めるようなことをしたいような、
そんな気分です。
フリータイムでカラオケにでも行こうか…。
でも何となくそんな気分でもないような。
図書館で本を数冊借りてきて、朝から夜まで、
それこそ頭が痛くなるくらい読んでみようかな…。
これは悪くないような気がします。
本当にやりたいのは空を自由に飛ぶことです。ハイ、タケコ○タ~。
暑くて寝苦しいせいか、ここ最近変な夢を見ます。
しかも妙にリアルで、起きてもすぐには、
「ん?さっきのって夢?それとも現実?」と(一瞬)思ってしまったり。
何かいいことないかな。
そう思っている間は、いいことなんてあるはずがないのかもしれません。
一生懸命になって、無心で取り組めるようなことをしたいような、
そんな気分です。
フリータイムでカラオケにでも行こうか…。
でも何となくそんな気分でもないような。
図書館で本を数冊借りてきて、朝から夜まで、
それこそ頭が痛くなるくらい読んでみようかな…。
これは悪くないような気がします。
暑くて寝苦しいせいか、ここ最近変な夢を見ます。
しかも妙にリアルで、起きてもすぐには、
「ん?さっきのって夢?それとも現実?」と(一瞬)思ってしまったり。
何かいいことないかな。
そう思っている間は、いいことなんてあるはずがないのかもしれません。
2008
失くしてしまったと思っていたものが出てきた。
拍子抜けするほど当たり前のように。
尻尾が欠けていた。
自分が折ってしまって、接着剤で付けたのだけれど、
結局また取れてしまい、失くしてしまったものだ。
本当はどうでも良いのかもしれない。
興味が無いのだ。
ただ、もしひとつあるとすれば、
今あの尻尾の先端はどうしているのだろうということだ。
自分の把握できる範囲から外れて、そこから零れ落ちてしまったもの。
そういったものたちはどうなっているのだろう。
自然界の法則に基づいて分解されてしまっているのだろうか。
それとも自我を持った存在として今も生きているのか。
もしかしたら、
自分達の寝ている間にどこか遠い世界に旅立ってしまっているのかも。
ナンセンスでチープ。
でも大切なものって、案外そういったものだったりするのかもしれない。
拍子抜けするほど当たり前のように。
尻尾が欠けていた。
自分が折ってしまって、接着剤で付けたのだけれど、
結局また取れてしまい、失くしてしまったものだ。
本当はどうでも良いのかもしれない。
興味が無いのだ。
ただ、もしひとつあるとすれば、
今あの尻尾の先端はどうしているのだろうということだ。
自分の把握できる範囲から外れて、そこから零れ落ちてしまったもの。
そういったものたちはどうなっているのだろう。
自然界の法則に基づいて分解されてしまっているのだろうか。
それとも自我を持った存在として今も生きているのか。
もしかしたら、
自分達の寝ている間にどこか遠い世界に旅立ってしまっているのかも。
ナンセンスでチープ。
でも大切なものって、案外そういったものだったりするのかもしれない。
2008
以前、仕事について考えたとき、
「好きなこと」と「仕事」は一致するのか否か
という議論に結局なったような気がする。
何度も考えていることだけれど、自分の中で納得がいかないので、
納得がいくまでこれからも何度か書きそうな予感。
脳内整理のようなもの。(ある意味独り言)
「好きなこと」と「仕事」は一致するのか否か
という議論に結局なったような気がする。
何度も考えていることだけれど、自分の中で納得がいかないので、
納得がいくまでこれからも何度か書きそうな予感。
脳内整理のようなもの。(ある意味独り言)
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プロフィール
HN:
銀兎
レベル:
40
性別:
男性
誕生日:
1984/10/29
職業:
会社員
趣味:
ゴルフ、音楽鑑賞(ロック・ポップ系の邦楽多め)、ゲーム、詩を書くこと、読書、飲酒(ぉ
自己紹介:
銀兎(ぎんと。と読みます)
ある場所ではカラス。
またある場所ではキーレス
というHNも使っています。
どちらかと言えば、かっこいいものよりも、かわいいもの、やわらかいものの方が好き。
ゲームで言えばRPG好き。
でも最近はレベル上げがたるいのでRPGプレイ時間減少中。
嫌いな食べ物は
ほぼありませんが、
生姜風味のかりんとうだけは食べられません。(嘔吐経験あり)
※妄想癖あり。
ある場所ではカラス。
またある場所ではキーレス
というHNも使っています。
どちらかと言えば、かっこいいものよりも、かわいいもの、やわらかいものの方が好き。
ゲームで言えばRPG好き。
でも最近はレベル上げがたるいのでRPGプレイ時間減少中。
嫌いな食べ物は
ほぼありませんが、
生姜風味のかりんとうだけは食べられません。(嘔吐経験あり)
※妄想癖あり。
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